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ペギー葉山の死因と歌手としての評価。「ケセラセラ」「南国土佐を後にして」「学生時代」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]甦る昭和歌謡 アーティストベスト10シリーズ ペギー葉山

ドレミの歌の訳した人、それを歌った人として有名でミリオンセラーの楽曲も多数持っており、歌手活動暦60年を数え2017年に惜しまれながら他界したペギー葉山さんを色々な角度から掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 芸名 ペギー葉山 (本名 小鷹狩 繁子)
  • 生年月日 1933年12月9日
  • カテゴリー 歌手
  • 所属レコード会社 キングレコード
  • 所属事務所 東和商会太田事務所
  • 活動期間 1952年 ~ 2017年

死因と歌手としての評価。「ケセラセラ」「南国土佐を後にして」「学生時代」の誕生秘話は?

死因については、ウイルス性肺炎のため2017年4月12日に死去し、83才でした。また、体調不良を感じて2日後に死去するという驚くほど速いスピードの展開でした。子供に多い肺炎の種類で有り高齢者では希のようです。

歌手としての評価は、紅白歌合戦に14回出場。歌手活動暦は60年を数えます。歌手として世の中に残した歌はドレミの歌でペギー葉山さんが和訳した物でした。1960年はロサンゼルスの日米修好百年の日本代表として渡米しサウンドオブミュージックを鑑賞し帰国後紹介しヒットしました。

また、ドレミの歌は当初歌詞を全て食べ物にしようと考えていたのですが、ファが思いつかず、食べ物で作詞をする事を断念し現在の形に落ち着きました。現在でも幼児教育の現場で歌唱されています。

1995年に紫綬褒章、2004年には旭日小綬章をそれぞれ受賞しており、国からも歌手として評価されています。また、後に紹介する「南国土佐を後にして」がダブルミリオンセラーを達成しています。

「学生時代」もミリオンセラーを達成するなど、レコード売上も昭和の時代にしてはかなり売り上げたと言っても過言ではありません。音楽キャリアのスタートはクラシックでしたが、後にポピュラージャズ、歌謡曲へと活躍場所を移していきました。


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ここからは、ペギー葉山さんの楽曲「ケセラセラ」「南国土佐を後にして」「学生時代」について書いて行きます。「ケセラセラ」 ドリス・デイの1956年にリリースした楽曲でカバーソングです。

原曲は、ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』の主題歌で主演していたドリス・デイが歌った物です。因みに日本では雪村いづみさんとペギー葉山さんが歌唱しました。訳詞はペギー葉山さんバージョンは音羽たかし氏。

雪村いづみさんバージョンは井田誠一氏でした。因みにケセラセラは、『なるようになるさ』と訳されることが多い言葉で、この言葉が広まったきっかけは、『知りすぎていた男』がアカデミー賞を受賞したことから世界的に広まって行きました。

続いては、「南国土佐を後にして」1958年NHK高知放送局の開局に際して記念番組『歌の広場』が放送されて日本全国に知られるようになりました。1959年5月にペギー葉山さんの歌唱でキングレコードからシングルレコードが発売されて発売から1年掛けてミリオンセラーを達成しました。

累積では200万枚を売り上げたと言われており、同名タイトルの映画も制作され日活配給で公開されて居ます。紅白歌合戦でも2回歌唱されています。続いては学生時代、作詞・作曲平岡精二さん。

当初は大学時代というタイトルで楽曲が制作されましたが、ペギー葉山さんの『みんな大学に行く時代じゃないから』と言う主張が通り、タイトルは『学生時代』に変更されました。紅白歌合戦でも歌唱し累積でミリオンセラーを達成しています。

まとめ

戦後の混乱期に歌を通して世の中に元気を与え続けた歌手の一人と言う事は間違いない事実で、歌手としての実力と作詞家としての能力も高かったのでは無いかと考えてしまいます。

また、ドレミの歌の歌詞については相当な苦労の跡が見えて、良くあれだけの言葉が見つかったなと思います。今後、あれだけシンプルな歌いやすい歌は出てくることはないのではと
感じてしまうばかりです。

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